樋口久子 : Higuchi Hisako

樋口 久子(ひぐち ひさこ)は、埼玉県川越市出身の女子プロゴルファーである。
日本女子プロゴルフ協会会長。
■国籍 日本
■出身地 埼玉県川越市
■生年月日 1945年10月13日
■性別 女
■利き腕 右利き
■優勝回数 77回
■身長 163cm
■体重 60kg
■プロ転向日 1967年
中学校時代までは陸上競技選手だったが、高校時代に実姉が勤務していた東急砧ゴルフ場で中村寅吉を知り、ゴルフへの関心を深める。
卒業後中村に弟子入りし、川越カントリー倶楽部で練習場のスタッフとして勤務する傍らプロ選手としての下積み生活を経験。
1967年に第1期女子プロテストに合格した。
その翌年、日本女子プロゴルフ選手権大会、TBS女子オープン選手権(現・日本女子オープンゴルフ選手権競技)の2大メジャーを連覇。
以後1970~80年代にかけてこれら2冠を独占するなど日本女子プロゴルフの先駆者としての地位を築く。
更に1977年には全米女子プロゴルフ選手権に日本人として初優勝(メジャータイトルそのものも日本男女を通して初)を達成し、世界もその実力を認めた。
英語では「ひさこ」という名前が呼びにくいことから、“Hisako Chako Higuchi”(チャコ・ヒグチ)と呼ばれ、世界ゴルフ殿堂の会員としてもこの愛称つきで登録されている。
1996年日本女子プロゴルフ協会会長に就任。
1997年に会長職専任のため競技の第一線を退き、後継者の指導に尽力する。
これまでの競技者・指導者としてのキャリアの高い評価から、2003年に日本人初の世界ゴルフ殿堂入りを果たした。
また以前から開催されていた「紀文クラシック」が、彼女の功績を称えた「樋口久子・紀文クラシック」(2003年は一旦休止。2004年から「樋口久子殿堂入り記念・IDC大塚家具レディス」に改称)として開催されている。
岡本綾子 : Okamoto Ayako

岡本 綾子(おかもと あやこ)は、広島県東広島市安芸津町出身の女子プロゴルフファーである。
日本の女子選手で初めて本格的にアメリカLPGAツアーに参戦した選手としても知られる。
日本ツアーの永久シード権を獲得しているほか、1987年には、アメリカ人以外で史上初のLPGAツアー賞金女王になった。
■国籍 日本
■出身地 広島県東広島市安芸津町
■生年月日 1951年04月02日
■性別 女
■利き腕 右利き
■優勝回数 62回
■身長 165cm
■体重 65kg
■プロ転向日 1974年
瀬戸内海を望む安芸津町木谷の生まれ。
木谷は赤土土壌で地元では赤崎と呼ばれる美しい丘陵地。
この地で収穫されるジャガイモは料亭などに流通する高級品で知られ、岡本の実家もジャガイモやタバコなどを作る農家のため、家の手伝いをすることで強靭な足腰が鍛えられた。
ソフトボールの強豪愛媛県今治明徳高校に進む。
同高校卒業後、ソフトボール部を創部した大和紡績福井工場(1995年9月閉鎖)に就職。
サウスポーの剛球エース兼4番として1971年、和歌山国体で優勝。
国体優勝の褒美で、祝勝ハワイ旅行で初めてアメリカの土を踏む。
ここでゴルフ場を見学したのがきっかけでゴルフと出合う。
1972年に大和紡を退職後、1973年1月に池田CCに入社し、1974年10 月に2度目の受験でプロテスト合格。
この時すでに「将来の夢は、アメリカに行ってプレーすることです」と答えた。
アメリカで成功するまで実家にもほとんど帰らなかった。
しかし、親族への連絡は常に怠らない。
ちなみに横浜在住の兄の長男による私設ファンクラブサイトは一部で愛されている。
1975年、美津濃トーナメントで初優勝。
1979年、日本女子プロゴルフ選手権で優勝。
1980年、樋口を抜いて初の賞金女王。
翌1981年、日本の女子選手では初めて本格的にアメリカLPGAツアーに参戦し、1982年から1992年の間、計17大会で優勝した。
1987年には、アメリカ人以外で史上初のLPGAツアー賞金女王となった。
メジャー大会での優勝はならなかったが、単独2位を4度、2位タイを2度経験している。
中にはプレーオフで敗れた大会もあり、ローラ・デービースやパット・ブラッドリーなどに道を阻まれた。
特に1987年の女子メジャー最高峰・全米女子オープンで、再三に渡る豪雨順延で6日間に及んだローラ・デービース、ジョアン・カーナーらとの名勝負は有名。
1983年から1991年までの間に、LPGAツアーの賞金獲得順位トップ10に8回入っている。
ヨーロッパ女子ツアーでも、1990年に「ドイツ女子オープン」で優勝した。
各種スポーツ賞の受賞歴も多く、1987年に日本プロスポーツ大賞を受賞している(女性では現時点唯一の受賞者)。
2005年に世界ゴルフ殿堂入りも果たした。
日本人ゴルファーの世界ゴルフ殿堂入りは、2003年の樋口久子、2004年の青木功に続いて史上3人目。
日米のツアーでの活躍など、世界的な活躍から「国際投票部門」で選出された初の女子選手となる。
また2005年12月20日、文部科学省からスポーツ振興に功績があった「スポーツ功労者」に選出された。
郷土からは1993年に広島県民栄誉賞を受賞し、2005年には安芸津町名誉町民となっている。
ジャンルは違えど、野茂英雄をはじめイチローや松井秀喜に代表される現在の日本人スポーツ選手のアメリカにおける成功の礎を築いた第一人者といっても過言ではない。
文藝春秋編集部は、1988年に刊行した『「文藝春秋」にみるスポーツ昭和史』全三巻のあとがきに於いて "昭和のスーパー・スポーツマン十人" に織田幹雄、人見絹枝、双葉山、川上哲治、古橋廣之進、白井義男、力道山、長嶋茂雄、植村直己と共に岡本綾子を選んでいる。
2006年7月より東京スポーツで「祝! 殿堂入り記念 岡本綾子ゴルフのすべて」が連載された。
2006年暮れに最愛の母を亡くしたが、それをバネに、10キロ減量が前提ながら、2007年から再び女子ツアー参戦に意欲を見せていた。
しかしヒザの故障が自身が思う以上に悪くブランクが長引いているため「現在の女子ツアーのレベルを考えると、本格復帰は事実上しんどいと思う」と述べている。
現在は郷里・安芸津町に近い東広島駅近くに新居を建築中(2008年3月竣工予定)で、広島と東京の半々くらいの生活。好きな土いじりをしながら、愛犬とのんびり暮らしている。
今後は広島に生活の基盤を置く予定で、アマチュアの指導の計画もあるが、現在具体的には何も決まっていない。
現役復帰はないと思われる。
福嶋晃子 : Fukushima Akiko

福嶋 晃子(ふくしま あきこ)は、神奈川県横浜市出身の女子プロゴルファーである。
NEC所属。
■国籍 日本
■出身地 神奈川県横浜市
■生年月日 1973年6月29日
■性別 女
■利き腕 右利き
■優勝回数 27回
■身長 163cm
■体重 65kg
■プロ転向日 1992年
10歳からゴルフを始める。
アマチュア時代には、1988年の「関東ジュニアゴルフ選手権」を皮切りに28個のタイトルを獲得し、1992年の全米女子オープンで29位に入ったこともある。
同年8月の女子プロゴルファーテストに合格。
1994年の「ダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメント」で女子ゴルフツアー公式戦に初優勝を飾る。
1996年と1997年の2年連続で、日本女子プロゴルフツアーの賞金女王(賞金ランキング1位)に輝いた。
1998年には年間2勝を挙げたが、3年連続の賞金女王を逃した。
その後、アメリカ女子ゴルフツアー(LPGA)の「クオリファイイング・スクール」(通称 Q-School, シード権獲得への出場資格試験)を5位で通過し、1999年からアメリカツアーに戦場を移した。
この年に「フィリップス・インビテーショナル」と「AFLACチャンピオンズ」で米国女子ツアーに2勝を挙げる。
2002年3月にクラフト・ナビスコ選手権で5位入賞を果たし、女子メジャー大会の自己最高成績を出した。
しばらく日米のツアーを掛け持ちで参戦していたが、2005年度は日本女子ツアーに絞った。
10月の日本女子オープンゴルフでは人気者の宮里藍に注目が集まる中、福嶋は宮里との同組ラウンドで5打差の2位に入った。
2006年は安定したプレーが続き、9月のマンシングウェアレディース東海クラシックで2年ぶりの優勝を飾ると、10月には樋口久子IDC大塚家具レディスで優勝。
腰痛に悩まされていたが、2007年からは元・広島カープで鉄人・衣笠祥雄を陰で支えた名トレーナー、種田博人と専属契約し帯同させるなどで、2007年も2勝を挙げ復活を果たした。
不動裕理 : Fudo Yuri

不動裕理(ふどう ゆうり)は、熊本県熊本市出身の女子プロゴルファーである。
■国籍 日本
■出身地 熊本県熊本市
■生年月日 1976年10月14日
■性別 女
■利き腕 右利き
■優勝回数 47回
■身長 156cm
■体重 58kg
■プロ転向日 1996年
身長156cmと小柄な体格ながら、正確なショットと勝負強さには定評がある。
日本女子プロゴルフ界の中でもずば抜けた安定感を持つ。
スター性を持つ後輩の宮里藍などとは対照的に、その雰囲気は寡黙。
往年の日本女子プロゴルフの名選手、清元登子に師事していたが、近年独立した。
2000年から2005年の「6年連続」で日本女子ゴルフツアーの賞金女王(賞金ランキング1位)となった。
2008年7月13日の明治チョコレートカップ(札幌国際CC島松)において、女子ツアー史上初めて生涯獲得賞金10億円を突破した。
6年連続の賞金女王に輝くなど、不動は一時絶対王者的な存在としてゴルフファンに知られていた。
そのためか2007年1月、不動裕理絶対主義者の有志によって「不動党」が結成され、不動裕理が出場する試合には不動党バッジをつけた党員が常時観戦している。
大山志保 : Ooyama Shiho

大山 志保(おおやま しほ)は、宮崎県宮崎市出身の女子プロゴルファーである。
オンワード樫山所属。
■国籍 日本
■出身地 宮崎県宮崎市
■生年月日 1977年05月25日
■性別 女
■利き腕 右利き
■優勝回数 12回
■身長 168cm
■体重 60kg
■プロ転向日 2000年
1987年、10歳の時からゴルフを始める(きっかけは、大映テレビ制作のドラマ『プロゴルファー祈子』という)。
熊本中央女子高等学校(現・熊本中央高等学校)へ入学し清元登子の弟子となる。
日本大学を中退し、2000年度の女子プロゴルファーテストに合格した。
2003年の「ベルーナレディースカップゴルフトーナメント」でツアー初優勝を挙げ、この年の賞金ランキング8位に入った。
2005年の「マンシングウェアレディース東海クラシック」で、2年ぶりの日本女子ツアー優勝を達成。
同年11月27日に、故郷である宮崎県の「宮崎カントリークラブ」で開かれた女子ゴルフツアー年間最終戦「LPGAツアーチャンピオンシップ・リコーカップ」で、5アンダーパー(-5,283ストローク)でメジャー初優勝を飾り、優勝賞金1500万円を獲得。
2位の不動裕理に4打差をつけ、女王の大会3連覇を阻止した。
大山はこの優勝により、日本女子ゴルフツアーで2006年から2008年までの3年間シード権を獲得し、年間賞金ランキング3位に食い込んだ。
2006年は4月の「フジサンケイレディスクラシック」で今期初優勝をすると、持ち前の強気のパットが冴えに冴え次々に好成績を収める。
8月13日、「NEC軽井沢72ゴルフトーナメント」 において、4勝目を挙げると同時に獲得賞金を約1億0766万円とし、国内では不動裕理、宮里藍に続く3人目の年間1億円突破を果たした。
更に8月27日に「ヨネックスレディスゴルフトーナメント」にも優勝し、8月は月間3勝とし、LPGAツアー記録を達成した。
2006年、10月22日のマスターズGCレディースで7位タイに入り賞金約400万円を獲得し、年間獲得賞金が女子プロ史上初の1億5千万円を突破した(それまでの記録は2003年不動裕理の1億4932万5679円)。
2006年秋、MIZUNOオープンに挑むに際し、髪型をショートカットにした。
ガッツポーズの仕方が五木ひろしのこぶしに似ていることから「五木ガッツポーズ」と名付けられている。
2007年6月 初出場となる「全米女子オープン」練習ラウンドの日、自分が死ぬ夢を見た。
金縛りにも遭い、塩で部屋を清めたとのこと。
上田桃子 : Ueda Momoko

上田 桃子(うえだ ももこ)は、熊本県熊本市出身の女子プロゴルファーである。
ソニー所属。
■国籍 日本
■出身地 熊本県熊本市
■生年月日 1986年6月15日
■性別 女
■利き腕 右利き
■優勝回数 8回
■身長 161cm
■体重 54kg
■プロ転向日 2005年
10歳の頃より坂田信弘主催の坂田ジュニアゴルフ塾でゴルフを始め、熊本市立西原中学校時代には熊日トーナメントジュニア女子の部で2連覇を達成。
東海大学付属第二高等学校1年次に九州女子アマ2位。
高校卒業後、ティーチングプロの第一人者として知られる江連忠の指導を受けるため、兵庫県神戸市に移住する。
2005年7月、プロテストに3位で一発合格。
新人戦の加賀電子カップで優勝する。
2006年は30試合に出場し予選落ち4回。
ベストフィニッシュはクリスタルガイザーレディスの3位。
賞金ランクは13位(4,675万1,163円)。
2007年1月19日に南アフリカで行われた第3回W杯に、諸見里しのぶと共に出場した。
2007年4月に行われた「ライフカードレディス」で初優勝を飾る。
なお、同日に行われていた「東建ホームメイト杯」(男子ツアー)の優勝者は上田諭尉で、この日は男女の「上田」が初優勝を飾ることとなった。
2007年11月4日、ミズノクラシックで全米女子ツアー初制覇。
同時に最終日7番ホール(485ヤード、パー5)で自身初のアルバトロスを達成した。
また、達成したボールは躊躇なく観客へ投げた。
2007年は通算5勝を挙げ、1996年の福嶋晃子の23歳148日を抜き、21歳156日で史上最年少の賞金女王となった。
大山志保が2006年に記録した、史上最多獲得賞金額1億6629万円の更新に期待が掛かったが、最終戦のリコーカップで記録更新の条件である2名以内の4位タイ以上の成績を残せず5位に終わったため、賞金総額は約1億6611万円と更新はならなかった。
同年12月、日本プロスポーツ大賞最高新人賞を受賞。
ゴルフ雑誌「Regina」の2007年 最もおしゃれなゴルファーランキングで見事1位に輝いた。
生まれたときからお尻が大きかった(桃尻)ことが名前の由来になっているとのこと。
「桃尻」は自身のブログのタイトルにも使われている。
プレイ中は自分との戦いといわんばかりに、ミスショットをすると自らに言い聞かせるような行動をとることがある。
プレイ中に激しい腹痛を起こしてしまったことがあるが最後までプレーしたという、ファイトのある性格。
プレイ中はもちろんのこと、プレイ後も感情を前面に出すほどの気迫溢れるスタイルを信条としているため批判の対象となることもあるが、それが逆に彼女の人気のひとつの要素ともなっている。
かつては転がすアプローチショットを嫌悪し、上げるアプローチショットを多用していた。
これは、プロである以上は人々に魅せるプレーが重要だという彼女の考え方によるものである。
しかし、これについて岡本綾子は「スコアメイクにはつながらない。タイガー・ウッズでもそんなことはしない」と批判した。
上田が本格的に転がすアプローチを練習し始めたのは、全米女子ツアーに参戦して不振が続いていたころであった。
2007年10月に放送された『情熱大陸』の中で「バレーボールやバスケットボールをやる人の気持ちがわからない、プロもないのに先がない。」と発言したためにブログが炎上し本人が謝罪する騒ぎになった。
2008年1月に放送された『おしゃれイズム』の中で「南アフリカには恐竜が実在している」と思い込んでいたと発言した他、たくさんの仰天エピソードを披露した挙げ句、「もう喋りたくな - い」と恥ずかしがった。
2008年1月より、サッカー元日本代表の中田英寿や競泳男子平泳ぎアテネ五輪2冠の北島康介らを手がけている大手マネジメント事務所のサニーサイドアップと契約。
日本ゴルフ界でも数少ない公式戦(メジャータイトル)未勝利の賞金王経験者でもあり、これは1990年女子の高村博美・1993年男子の飯合肇・1999年女子の村口史子に続いて史上4人目。
古閑美保 : Koga Miho

古閑 美保(こが みほ)は、熊本県熊本市出身の日本の女子プロゴルファーである。
キリンビバレッジ所属。
■国籍 日本
■出身地 熊本県熊本市
■生年月日 1982年7月30日
■性別 女
■利き腕 右利き
■優勝回数 11回
■身長 167cm
■体重 60kg
■プロ転向日 2001年
3歳より野球を始め、小学5年次(10歳)よりゴルフに転向、坂田ジュニアゴルフ塾に入塾する。
東海大学付属第二高等学校時代に現日本女子プロゴルフ協会会長の樋口久子に師事、全国高等学校ゴルフ選手権連覇などの成績を修める。
2007年賞金女王の上田桃子は坂田塾および東海大二高の4年後輩にあたる。
2001年9月、プロテスト一発合格(73期生)。
日本女子プロゴルフ協会副会長を務める清元登子を師匠に持つ。
クラブとボールはダンロップと契約しており、ドライバー、アイアン共にXXIO(ゼクシオ)を使用。
ビジュアル面で話題になることが多いが、実力においても日本女子ゴルフ界有数のプレイヤーで、常に10位以内に食い込む実力があり、優勝争いに加わることも多い。
初優勝は2003年ヨネックスレディスゴルフトーナメント。2006年は33試合で優勝2回、2位4回、その他10位以内が6回、賞金ランキング6位、獲得賞金約8632万円。
2007年11月25日、リコー杯女子ゴルフ最終日において、5バーディー・ノーボギーの67、通算13アンダーの275を記録し、初日から最終日スタートまで首位を保っていた不動裕理を逆転し、公式戦初優勝を果たした。
2007年の賞金ランキングは4位、賞金総額は約9429万円と自己最高額を更新した。
2008年、賞金総額1億2085万4137円で初の賞金女王に輝いた。
プーマのサポートを受け、ビジュアル系女子プロゴルファーとして活躍している。
2005年には秋葉原でイベントを開くなど、その人懐っこい笑顔とスタイルの良さから多くの男性ファンの支持を得ており、一部の加熱したファンからはアイドル視されている。
ソニー・コンピュータエンタテインメントが契約スポンサーであり、PSP専用ゲームソフトみんなのGOLF ポータブルのCMに出演したことがある。
「合コンしたい」というセリフが用いられたが当時は付き合っている男性がいたとのこと。
愛車はメルセデス・ベンツSL65AMG。
3代目ランドローバー・レンジローバーヴォーグ。
得意なスポーツは野球。
小学生時代に馬原孝浩(現・福岡ソフトバンクホークス)からライトオーバーの本塁打を打ったことがある。
馬原自身も当時のことを鮮明に覚えているとのこと。
プロ野球読売ジャイアンツに所属する藤村大介(熊本工高)と親戚(再従弟)の関係。
2007年4月より東京都に在住。
横峯さくら : Yokomine Sakura

横峯 さくら(よこみね さくら)は、鹿児島県鹿屋市出身の女子プロゴルファーである。
エプソン販売所属。
■国籍 日本
■出身地 鹿児島県鹿屋市
■生年月日 1985年12月13日
■性別 女
■利き腕 右利き
■優勝回数 10回
■身長 155cm
■体重 51kg
■プロ転向日 2004年
ゴルフ好きの父親横峯良郎の影響で8歳からゴルフを始める。
長姉横峯留衣もプロ。
鹿屋市立田崎小学校 ・ 田崎中学校、明徳義塾高等学校卒業。
父方の伯父に社会福祉法人純真福祉会理事長の横峯吉文がいる。
2002年、日本ジュニアゴルフ選手権競技(15〜17歳女子の部)、サンスポ女子アマ優勝。2004年4月には「再春館レディース」で不動裕理らとプレーオフを演じた。
8月プロテスト合格、チャレンジツアー(下部ツアー)の「穴吹工務店レディースカップ」でプロ初優勝。
12月、当該年度のプロテスト合格者による「日本女子プロゴルフ新人戦・加賀電子カップ」優勝。
2004年の獲得賞金は1734万7584円で27位。
プロテストには2位で合格したため、当初はツアーの残りのうち前年成績によるものを含め3試合しか出場権を得られなかった。
しかしデビュー戦の「フジサンケイレディスクラシック」で4位に入ると、続く2試合も10位、2位と健闘。
更には「穴吹工務店レディースカップ」での優勝でツアー3試合の出場権を獲得、その試合も活躍し2005年のシード権を得た。
2005年1月には米男子ゴルフ「ハワイ・パール・オープン」に参戦。予選で一時暫定5位につけるなど健闘し、通算6アンダーで17位(優勝記録は14アンダー)。
ドライバーは男子顔負けの飛距離で、地元紙などで絶賛された。
同大会では前年にミシェル・ウィー(アメリカ)が38位に入ったが、これを大きく塗り替える記録となった。
2005年4月8日〜10日の「スタジオアリス女子オープン」はトップで最終日を迎えたがスコアを大きく落としこの大会での初優勝はならなかった。
しかしその1週間後、前大会までキャディを務めていた本仮屋沙織に代わり父親がキャディーの下、2005年15日〜17日に行われた「ライフカードレディス」で、念願の国内女子ツアー初優勝を決めた。
初優勝後はなかなか優勝争いに加わることができず、予選落ちも経験したが、2005年9月23日〜25日に行われた「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン」で見事2勝目を上げた。
しかも父親以外のキャディーでの優勝ということもあり、プロゴルファーとして自立への一歩となった。
2005年度ツアーの獲得賞金は6934万7016円で4位。
2006年のニチレイレディスで2006年度初優勝を達成。自身初の完全優勝となる。
2006年のベルーナレディースカップゴルフトーナメントで年間2勝目を達成。
トーナメントレコードを更新し2位に5打差をつけて自身の目標だったぶっちぎり優勝を達成する。
2006年の最終戦LPGAツアーチャンピオンシップリコーカップでメジャー初優勝。年間3勝の目標を達成する。
2006年度ツアーの獲得賞金は9638万7662円で3位。
2007年度に自身初の年間獲得賞金一億円を突破。(日本女子プロゴルフ史上6人目)
2007年度ツアーの獲得賞金は1億1494万5890円で2位。
2008年は大王製紙エリエールレディスオープンの1勝にとどまるが、年間獲得賞金は2年連続の1億円突破となった。
2009年はメジャー1勝を含む年間6勝・予選落ちゼロで、念願の賞金女王となる。年間獲得賞金額1億7501万6384円は日本女子プロゴルフ史上最高額である。
宮里藍 : Miyazato Ai

宮里 藍(みやざと あい)は、沖縄県国頭郡東村出身のプロゴルファーである。
サントリー所属。
■国籍 日本
■出身地 沖縄県国頭郡東村
■生年月日 1985年6月19日
■性別 女
■利き腕 右利き
■優勝回数 13回
■身長 155cm
■体重 52kg
■プロ転向日 2003年
宮里家は3人兄弟の家族で、藍は末の妹である。
「藍」の名前の由来は父が辞書で調べると最初の方に出てくる名前でトップがとれるようにという理由とのことである。
次兄の宮里優作が、仙台市にあるゴルフの名門・東北福祉大学在学中に「日本学生ゴルフ選手権」で3連覇するなど活躍していたこともあり、藍も優作を追う形で沖縄を出て、仙台市にある東北高校に進学した(東北福祉大と東北高校は系列校ではない)。
既に兄の優作の活躍は、在仙台局の夕方ニュース番組のスポーツコーナーで度々紹介されていたが、妹の藍も、高校2年で釜山アジア大会で金メダルを獲得し、アマチュアながら女子プロゴルフトーナメントに参加して、フジサンケイレディスクラシックで優勝争いに加わる(最終順位4位)など、上位に食い込む活躍を始めると「天才兄妹」として紹介されるようになった。
宮里藍は、高校3年の時に地元仙台で開催された「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメント」で優勝し、2003年10月にプロ宣言をする。
こうして彼女は史上初の高校生プロゴルファーとなった。
長兄の宮里聖志は、2004年12月の「アジア・ジャパン沖縄オープン」でプロゴルファーとしての初優勝を果たしている。
2004年11月の「エリエールレディスオープン」で優勝し、年間獲得賞金額が1億円を突破。国内女子ツアーでは不動裕理以来2人目の快挙を達成した。
この年賞金女王は逃したが、ツアー5勝を挙げ、賞金ランキング2位に入る。
2004年日本プロスポーツ大賞新人賞を受賞する。
男子も含めゴルフ人気は長く低迷していたが、宮里藍のライバルの横峯さくらとともに女子プロゴルフ界のニュー・ヒロインとして注目され、テレビ中継の視聴率が10%を超えるなどゴルフ人気の復活に貢献した。
2005年2月11日-13日、第1回ワールドカップ女子ゴルフ(南アフリカ)に日本代表として出場し、韓国・アメリカ・オーストラリアなどの強豪国を抑えて優勝した。
最終日はそれまで絶好調でチームを引っ張ってきたペアの北田瑠衣が終始不調であったが、それを補って余りあるバーディーラッシュを見せた(ただし、この大会に当時世界最強のアニカ・ソレンスタムは出場しなかった)。
メジャー大会では、初挑戦だった2004年7月末の全英女子オープンは予選落ちするも、翌2005年には11位タイでフィニッシュ、2006年の出場資格を獲得した。
2005年度の女子メジャー大会第1戦クラフト・ナビスコ選手権で予選を通過し、同年7月末の最終戦全英女子オープンでメジャー自己最高の11位に入った。
6月末の「世界女子マッチプレー選手権」では3回戦まで進出している。
2005年10月に開かれた日本女子オープンゴルフ選手権競技において、感涙の公式戦初優勝を達成、史上最年少の20歳3か月でのツアー通算10勝、並びに同大会史上最年少優勝も獲得した。
この大会の最終日、2005年10月2日は「藍ちゃん人気」も手伝ってギャラリー数が史上初めて2万人を超え、また大会全体でも4万人の大観衆を集めた。
この後も10月末の「樋口久子IDC大塚家具レディス」に勝ち、11月の「エリエールレディスオープン」大会2連覇も達成している。
米国LPGAツアーへの参戦を目指してツアー出場資格を懸けた最終予選会(2005年11月-12月・米フロリダ州デイトナビーチ)に出場。
5日間 90ホールの厳しい戦いを、トータル17アンダー、2位と12打差と圧勝、1位で2006年のLPGAツアーカードを取得した。
これらの数字は、予選会が 5日間となった昨年の1位ポーラ・クリーマーの11アンダーを上回り、また1973年に予選会の制度ができてからの2位との差の新記録である。
2006年度から、宮里はロサンゼルスを拠点に、米国ツアーを主戦場にした。
この年から女子プロゴルフにも「世界ランキング」が導入され、宮里は最初に発表された2006年2月20日付のランキングで6位に入った。
主な成績は、メジャー大会の全米女子プロゴルフ選手権3位、全英女子オープンゴルフで9位入賞がある。
この年は米国ツアー出場21大会中、19大会で予選を通過し、賞金ランキングでも22位に入った。
2007年のクラフト・ナビスコ選手権では15位に入っている。
2006年からもその兆候はあったが、2007年度は連続5回予選落ち(うち、1回は棄権)するなど、これまでにない不振に陥っている。
2009年7月、フランスでのエビアン・マスターズにてLPGAツアー初優勝を飾った。
原江里菜 : Hara Erina

原 江里菜(はら えりな)は、愛知県豊田市出身の女子プロゴルファーである。
マスターカード所属。
■国籍 日本
■出身地 愛知県豊田市
■生年月日 1987年11月7日
■性別 女
■利き腕 右利き
■優勝回数 1回
■身長 164cm
■体重 60kg
■プロ転向日 2007年
1997年、小学校4年・10歳のときに、両親の勧めで当時愛知県にも教室を開設した坂田信弘主催のジュニア・ゴルファー育成組織「坂田塾」に入塾、ゴルフの練習をはじめる。
豊田市立若園中学校に進学する頃には本格的に競技ゴルフに参加するようになり、同校3年在学中の2002年には中部ジュニアゴルフ選手権やゴルフダイジェスト・ジャパンジュニアカップで優勝するなど頭角をあらわした。
同校卒業後には、宮里藍を慕って南光学園東北高等学校に進んだ。
2003年の高校進学後は宮里兄弟の父・宮里優に師事、国体ゴルフ競技少年の部で団体優勝して、 JGA女子ナショナルチーム(日本代表)に抜擢される。
同年、東北高校の2学年先輩である宮里藍がプロトーナメントで優勝を果たしたのを目の当たりにして衝撃を受け、プロゴルファー志向を強めた。
2004年 には、日本女子アマで8強、ネイバーズトロフィー選手権優勝、全国高校ゴルフ選手権優勝、2005年にかけては国体ゴルフ競技少年の部に個人で2連覇し、さらに世界ジュニアゴルフ選手権団体優勝、アピタ・サークルK・サンクスレディス6位タイ(ローアマチュア)に入るなど活躍した。
2006年3月の高校卒業後は大学進学の道を選び、在学中いつでもプロゴルフツアーへの参加を認めるという校風に共鳴して、東北福祉大学総合福祉学部社会福祉学科に進んだ。
ゴルフ強豪校として知られる同学のゴルフ部に在籍しながら、同年度にも全国女子大学ゴルフ対抗戦や日本女子学生ゴルフ選手権で優勝、アジア大会(ドーハ)に佐伯三貴、宮里美香と出場し女子団体銀メダルを獲得するなど、JGAナショナルメンバーに連続して在籍した4年間を通じて安定した強さを示した。
東北福祉大学1年在学中に、日本女子プロゴルフ協会2006年度ファイナルQT(クオリファイング・トーナメント)で43位となり、 TPD(トーナメント・プレーヤーズ・ディビジョン)非会員登録制度を活用して2007年1月1日付プロツアー登録した。
2007年シーズンでは計30試合に出場、賞金3971万7952円を得て賞金ランキング19位となり、2008年度シーズンのシード権を楽に獲得した。
プロ転向初年度は優勝こそ飾れなかったものの、ツアーデビュー2戦目の2007年ライフカードレディスゴルフトーナメントで単独2位に入るなど早くも頭角を現した。
その後のレギュラーツアーにおいても37試合出場で2位が3回、3位が2回という実力を示し、特に、2008年フジサンケイレディスクラシックの2日目競技においては、従来の川奈ホテルゴルフコースのコースレコードを2打更新する「64」の新記録で暫定首位に立つなど、その実力と将来ある若さに、女子ゴルフ界の次代をになうプロの一人であるとされている。
2008年8月のNEC軽井沢72ゴルフトーナメントにおいてプロ転向後の初優勝を飾った。
また、単位取得実績がまだ乏しい大学1年生でのプロ転向であったため、プロツアーと両立して単位取得・卒業したいとの意向から、2007年4月の新学期より、所属学部を総合福祉学部社会福祉学科通信課程(通信教育部)に転属している。
2007年1月のプロツアー登録を受け、同年2007年3月1日、下村真由美、日下部智子、青山加織などのマネジメントを行うクロス・ビーと、自動更新による期限の定めのないマネジメント契約を締結した。
同年3月29日には、マスターカードと、同社のイメージキャラクターとして2ヵ年の所属契約を締結した。
2008年1月には、社会人アメリカンフットボールチームシーガルスなどでトレーナーを務めている鈴木紗織と、トレーナー契約を締結し、バランスボールなどを使った体幹強化訓練を続けいる。
プライベートではおっとりした性格で、あまり騒々しい場所に出掛けるのは好まず、休日には自室で静かにDVDで映画やドラマを、CDで楽曲を鑑賞するのを好む。
ウィンドウショッピングも好むが、決して衝動買いはせず、店頭で気に入ったものがあっても、一旦帰宅してから冷静に吟味し、必ず日を改めて購入する。
物離れが悪く、衣料や雑貨に至るまでなかなか捨てることができない。
特に、一度自分が気に入ったものや他者からプレゼントされたものに関しては、たとえ破損・変色しても使用し続けることがしばしばある。
あまりにも、物を捨てられないため、母親に「部屋が汚い」として自室の古物を勝手に処分されてしまうことがしばしばある。
ゴルフに関しては負けず嫌いで、長時間の練習を欠かさない。
ドライバー飛距離は240ヤードを軽く超え、豪快な打棒ばかりに注目が集まるが、自身が好きな番手はミドル~ショートアイアンであり、アプローチやパターでしばしばショットメーカー的な器用さを見せる。
基本的には、テークバックからトップにかけて目線がぶれず、両肘の間隔が保たれながらしっかりと左肩が入ったトップを形成する。
トップ下、ダウンスイングからインパクト、フォローにかけての右サイド、右ひざの送り込みには無駄な力の分散が見られず、フィニッシュにおいては肘の間隔が大きく開くことなく右サイドが回りきり左にしっかり乗り切る綺麗なスウィングである。
金田久美子 : Kaneda Kumiko

金田 久美子(かねだ くみこ)は、愛知県名古屋市出身の女子プロゴルファーである。
ニックネームは「キンクミ」。
■国籍 日本
■出身地 愛知県名古屋市出身
■生年月日 1989年8月14日
■性別 女
■利き腕 右利き
■優勝回数 0回
■身長 165.5cm
■体重 49.5kg
■プロ転向日 2008年
3歳でゴルフを始める。
8歳の時には「世界ジュニア選手権」(10歳以下の部)を制し、タイガー・ウッズに並ぶ記録を作った。
その後も「日本ジュニア」、「世界ジュニア」、「中部女子アマチュア」などの数々のアマチュアの大会で優勝。
世界ジュニアゴルフ選手権で過去5回の優勝。
プロツアーでも物怖じすることなく何度も優勝争いに加わり、ローアマ獲得は数えること14回。
プロのトーナメントでは2002年にリゾートトラストレディスで最年少予選通過記録(12歳9ヶ月)を作った。
2004年はゴルフ5レディスで3位タイ、2006年はニチレイPGMレディスで4位タイ、2007年はベルーナレディースで4位タイに入った。
2008年度のプロテストでは1打差で不合格となった。
その後QTに出場しサードQT通過後にプロ宣言した。
ファイナルQTは見事1位で通過した。
これで来期のトーナメントにはフル出場が確実となった。
2009年よりナイキゴルフと用品からウェアまで総合契約を結ぶこととなった。
タイガー・ウッズに憧れ、また、「辻村明須香のような強くておしゃれなゴルファーになりたい」と語る。
ゴルファーっぽくない109系のギャルファッション、茶髪にピアスというファッションも注目。
有村智恵 : Arimura Chie

有村 智恵(ありむら ちえ )は、熊本県熊本市出身の女子プロゴルファーである。
■国籍 日本
■出身地 熊本県熊本市出身
■生年月日 1987年11月22日
■性別 女
■利き腕 右利き
■優勝回数 1回
■身長 159cm
■体重 57kg
■プロ転向日 2006年
熊本市立尾ノ上小学校時代は水泳選手で、九州大会出場の経験もある。10歳の時にゴルフを始め、一時期坂田ジュニアゴルフ塾にも在籍したが指導方針の違いから1年で籍を離れ、以後は父の指導で力を付けていく。九州学院中学校時代には、全国中学校ゴルフ選手権(2002年)などを制覇する。
東北高等学校では宮里藍の2学年後輩にあたり、同級生には佐藤のぞみや原江里菜などがいた。高校3年時には日本ゴルフ協会アカデミック・ゴルフ・アウォード高校生の部・奨励賞を受賞している。
2006年にプロテストにトップの成績で合格し、同年8月1日に78期生としてデビュー。2007年は優勝こそないものの、トップテン入りが10回、賞金ランキング13位、賞金総額約4764万円と健闘。愛嬌のあるルックスで人気・実力ともに今後に期待が持てる若手女子プロゴルファーのひとりである。
高校の同級生である原江里菜とは高校在学当時、寮が同室でありながら犬猿の仲だったとブログで語っている。
現在は休日を共に過ごしたり、原の初優勝の際には涙する等、仲の良い友人関係に修復されている。
2009年8月、NEC軽井沢72ゴルフトーナメントで、初日から3日連続首位の完全優勝を達成。
2009年9月、第37回ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメントで4勝目。
2009年11月、第28回大王製紙エリエールレディスオープンでは、今季5勝目を挙げた。
飯島茜 : Iijima Akane

飯島 茜(いいじま あかね)は、千葉県出身の日本の女子プロゴルファーである。
■国籍 日本
■出身地 千葉県八千代市出身
■生年月日 1983年7月11日
■性別 女
■利き腕 右利き
■優勝回数 5回
■身長 157cm
■体重 50kg
■プロ転向日 2005年
小学校時代は陸上の3000メートルの選手だったが、中学には陸上部がなくソフトボール部に入部。13歳の時から本格的にゴルフに取り組み始め英才教育を受ける。小学校時代には、インフルエンザにもかかわらずマラソン大会に強行出場し、3キロを上位で完走し男子を驚かせたという伝説もある。
中学2年の時「関東ジュニア」で初めて70台を出して1位通過し、ジュニア界では無名だった飯島は一躍脚光を浴び、以後数々のアマチュアトーナメントにおいて好成績を収める。
高校卒業後はゴルフ技術の向上と語学習得のため、オーストラリアに6か月のゴルフ留学。2003年「日本女子オープン」で10位に入りセカンドアマを獲得。2004年にはアマチュア資格のまま「LPGAファイナルQT(クオリファイング・トーナメント)」を34位突破し2005年に行なわれる全試合の出場権を獲得。
同7月にはプロテストに一発合格。2005年、ルーキーながらトップ10フィニッシュ8回でシード権獲得。2006年1勝を挙げ、2007年8月-9月にはゴルフ5レディス、女子メジャー大会日本女子プロゴルフ選手権大会を2週連続で制した。
ソフトボール出身という経歴が似る岡本綾子を尊敬しアドバイスを受けている。
諸見里しのぶ : Moromizato Shinobu

諸見里しのぶ(もろみざと しのぶ)は、沖縄県名護市出身の女子プロゴルファーである。
■国籍 日本
■出身地 沖縄県名護市
■生年月日 1986年7月16日
■性別 女
■利き腕 右利き
■優勝回数 5回
■身長 160cm
■体重 60kg
■プロ転向日 2005年
9歳でゴルフを始め、ジュニア時代の多数の大会で優勝を飾っている。
同じ沖縄出身の上原彩子に勧められておかやま山陽高等学校に進学。
おかやま山陽高等学校在学中からプロトーナメントに参加し、上位に食い込む活躍を始めていた。
2005年5月、「ブリヂストン・レディス」では宮里藍以来のアマチュアツアー優勝を目指したが、プレーオフのかかった18番ホールで、5メートルのバーディーパットを外し、3位タイに終わる。
6月に日本女子アマチュア選手権で優勝。
この後に行われた「世界女子マッチプレー選手権」では、唯一のアマチュアゴルファーとして出場を認められたが、7月1日の2回戦で韓国の張晶に1ダウンで惜敗した。
7月末の女子プロゴルファーテストに合格。プロ・デビュー戦となった「日本女子オープン」では、3オーバー(+3,291ストローク)で5位入賞を果たした。
その後「マスターズ・ゴルフクラブ・レディース」で4位、「樋口久子IDC大塚家具レディス」で2位に入り、出場3試合で賞金ランキング「49位」に入って、2006年度のシード権を獲得した。
アメリカLPGAツアーのレギュラー・ツアーのシード権を争う「クオリファイイング・スクール」でも、最終予選会を9位で通過した(日本ツアーと掛け持ちでプレーすることを表明している)。
帰国後、キヤノンと3年1億円のスポンサー契約を結んだ。
2006年10月に行われたSANKYOレディースオープンでは江連忠が見守る中で2位の全美貞に1打差で初優勝を飾った。優勝後の記念撮影ではスポンサーを務めるSANKYOのCMに出演している志村けんとアイーンのポーズで写った。
出身校がある岡山県の地元紙、山陽新聞ではスポーツ面の他1面でも初優勝が取り扱われた(おかやま山陽高出が記載される)。
2007年1月、南アフリカで行われた第3回女子ワールドカップに、日本代表として上田桃子と共に出場した。
2007年9月、日本女子オープンゴルフ選手権競技を制し、初のJLPGAツアーメジャータイトル優勝を飾った。
2008年、ダイキン工業と3年間の所属契約を締結。
2009年5月 ワールドレディスチャンピオンシップ サロンパスカップ制し、自身のJLPGAメジャータイトル2勝目を飾る。
JLPGAメジャータイトル2勝目最年少記録は宮里藍の持つ21歳83日に次ぐ22歳298日で歴代2位。
8月には CATレディースゴルフトーナメント優勝。
9月には ゴルフ5レディスプロゴルフトーナメント優勝で、自身初・現行ツアー制度施行後9人目の年間獲得賞金1億円を突破。
また、 日本女子プロゴルフ選手権大会コニカミノルタ杯では自身初の2週連続優勝で、同年の日本国内メジャー大会2連勝を果たし、日本女子オープンゴルフ選手権競技・ ワールドレディスチャンピオンシップ サロンパスカップと合わせて史上8人目・最年少(23歳59日)でのJLPGAメジャー3冠を達成する。
なお賞金女王争いは最終戦のLPGAツアーチャンピオンシップまでもつれ込んだ結果、2位タイにとどまった諸見里は975万円差で賞金女王を逃すも、獲得賞金1億6526万2708円はリーディング2位の選手としては史上最高額であり、通常なら大差で賞金女王に輝いてもおかしくない金額であった。
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